100年タイムライン
富士高校100年のあゆみをタイムラインにいたしました。皆さまからの、在学中のエピソードもお待ちしております。
新校舎の整備が進む
1964(昭和39)年5月31日 鉄筋4階建ての新校舎が竣工、以後、1967(昭和42)年にかけて、特別教室棟、管理棟の竣工が続いた。
第1回高原教室を開催
1964(昭和39)年7月 修学旅行を廃止し、第1回高原教室が奥日光で行われた。旅館は「板屋旅館」、湯ノ湖畔のキャンプファイアが印象的であった。
物置を整理していましたら、昭和43年度インターハイのペナントが出てきました。
当時の富士高校陸上競技部はインターハイにおいて総得点で毎年上位に入るほどの強豪校でした。昭和43年度だけをとってみても、4×100リレーでインターハイ優勝を果たし、ほか入賞者も何名かおられました。
新体育館が竣工
1969(昭和44)年4月12日 現在も使用している鉄筋2階建ての新体育館が竣工、合わせて運動クラブ部室の建設や運動場の拡張整備が行われた。この年は創立45周年にあたり、10月には新体育館で記念式典も実施された。
生活館が竣工
1972(昭和47)年12月4日 現在の生活館竣工。給食施設もあり、当初は全日制の皆さんの昼食や定時制の皆さんの夕食として多くの皆さんの胃袋を満たした。百人一首部の練習場や運動クラブの合宿所という思い出も詰まった場所となった。
夏の甲子園初出場
1979(昭和54)年8月 第61回全国高校野球選手権大会甲子園出場。高知高校と延長15回の熱戦の末、サヨナラ負けとなった。作詞家故阿久悠氏は日本経済新聞でその健闘を詩にして讃えた。
百人一首部が全国優勝、
10連覇の始まり
1979(昭和54)年 1970(昭和45)年創部以来破竹の勢いでその名を全国にはせた百人一首部は、第1回全国高校生かるた大会にて優勝し、以後10連覇を果たした。
クラブ活動帰りの楽しみ
クラブ活動帰りの楽しみは、周辺商店への寄り道。チェリオやファンタなどで喉を潤し、肉まん、おでんなどで、小腹を満たしました。どれだけでも食べれる時代でした。富士高の東側には遠藤商店と島崎酒店、西側には時田さんなどにお世話になりました。現在は、島崎酒店のみが当時の思い出につながります。