100年タイムライン
富士高校100年のあゆみをタイムラインにいたしました。皆さまからの、在学中のエピソードもお待ちしております。
生徒定員1,000名に
1942(昭和17)年4月 生徒定員1,000名となる。この頃は「軍事教練」という教科があった。
学徒動員始まる
1943(昭和18)年 学徒動員始まる(田子浦軍用飛行場・佐野鉄工・日産自動車・東京芝浦機械)。修学旅行廃止。
富士高が誕生、女子も入学
1948(昭和23)年4月1日 静岡県立富士高等学校(定員1,050名)となり、男女共学への流れから女子生徒30名が初入学する。9月1日には定時制課程も設置(定員320名)される。
校旗が完成、定時制の勉学熱も高まる
1951(昭和26)年3月16日 富士高校旗は物価高騰により多難を極めたが完成し、卒業式で披露となった。また、定時制生徒の勉学熱は高まっていた。
収容人員千人の講堂が完成
1954(昭和29)年4月14日 収容人員千人の講堂が竣工した。2011(平成23)年に新講堂が完成するまで、各種のセレモニーや富嶽祭のステージ、バドミントン部の練習場等として多目的に使用された。この年は創立30周年記念式典や記念行事が実施された。運動場の埋め立ても完成した。
第1回富嶽祭を開催
1956(昭和31)年10月 第1回富嶽祭を開催。1週間にわたる行事であり、弁論大会や展示会、バザー等が行われた。なお、体育祭は通学区ごとに分けた「東部」「南部」「北部」の3地区対抗戦であった。